福 間 の 板 碑

鎮座地:福岡県大木町大字福土

板碑(イタヒ又はイタビ)  板碑は、平安中期の貞元年間(九七六年頃)から、鎌倉〜室町時代の天文年間(一五三二年頃)まで約五五〇年にわたる戦国時代の世相を反映した信仰のあらわれである。戦国時代の武士階級は、もちろん、庶民階級も不安な心境から簡易な方法で、現在・未来の姿を板碑に託したものといえよう。
 板碑は、ひらたい形の石の上部、又は、中央部に梵字や佛像を刻み、その下に供へ具、供養者名を彫り追善供養した石塔姿である。梵字は、佛教上の権威ある象徴として石塔に刻まれている。梵字は、梵語を表記するために用いられた古代インドの文字であるが、中国・日本では梵字のもつ呪術的威力が強調されて、あらゆる佛教遺物に氾濫するまでになった。
 板碑などでは、梵字一字をあてて一定の佛菩薩をあらわすもので、その一字が限りない佛の恩恵を安けるものである

福間板碑 福間 町指定文化財
 大木町大字福土、田中弘利宅の庭にある。この板碑は佛像を刻みこんだもので、町内では唯一と思われる。板碑の中心には、阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩が彫られている。 現在八月一七日は「イボ(疣)観音」として、地域の人々のお詣りの対象となっている。建主、年月日、は不明であるが代々田中家が供養している。聞くところによれば、江戸時代中頃(二〇〇年以前)のものと考えられる。


福間の板碑の解説板 板碑 仏が刻まれている


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